2015年01月20日
沖永良部島のお茶の歴史
沖永良部島の紅茶 「島の香り」のネーミングで昭和45年ごろ間で栽培されていました。
大山キャンプ場は紅茶畑でした。海外からの輸入に押され栽培中止になったそうです。
大山グランドは昔パイン畑、展望台近くに製材所があったようです。
沖永良部島のお茶の歴史
お茶
戦前に知名青年学校が中心になり、製茶が営まれており(知名茶)の銘柄で島外に出荷されていた。
1940年製茶工場が設立されていたが、1945年空襲で消失。
1952年 製茶工場が町の直営として建設される。
1955年 紅茶苗6000本を購入し試作する。
1956年 紅茶畑2haになる。
1960 紅茶工場建設される。
1961 一番茶が出荷。島の香のネーミングで島外に販売される。
1965 紅茶園 町営5ha、民営1ha
この頃は紅茶栽培の全盛期
1971 セイロンティーなどの輸入に押され緑茶生産に切り替える。
1974 オイルショックの影響もあり製造を中止。